レポート:「一番の”Side U”は母!」Himika Akaneya 2nd Single「Side U(Prod.AmPm)」インタビュー

先日、Himika Akaneya 2nd Single「Side U(Prod. AmPm)」の発売を記念して、マスコミ向けインタビューが行われました。今回は、Himika Akaneyaさんに曲の魅力や「Side U」なエピソードを伺いました。

Q:今回のHimika Akaneyaさんの楽曲はミディアムバラードという事で、普段i☆Risで歌っているジャンルと比べて珍しかったと思いますが、技術面で難しかったことはありますか?

茜屋日海夏(以下、茜屋):
今回の「Side U(Prod. AmPm)」のサビはほとんどファルセットなんです。シングル一枚目の「Stereo Sunset(Prod. AmPm)」は音域が高すぎない自分の心地良いキーで歌っていたので、最初は少し不安でした。でも、ミニライブで生歌唱した時に、AmPmさんの曲のメロディは 意外に自分には歌いやすいと気付きました。

Q:サウンドプロデューサーのAmPmさんからディレクション(指示だし)はありましたか?

茜屋:
今回の曲は、C/Wも含めて、いつもi☆Risを担当してくださっているディレクターの方がやってくれました。i☆Risは5人いるので大体パートに毛色があり、”これ”と言うのがあるのですが、今回は一人なので、自分の思うように歌ったらOKが出て、あまり”こうしてほしい”というオーダーはありませんでした。

Q:「Side U (Prod.AmPm)」の聞きどころは?

茜屋:
サビの高い所はファルセットで歌っているのですが、私はラストサビ前のBメロの「季節が街に溶けて…帰れない」の「帰れない」はあえて地声で歌っているんです。そこが自分のこだわりポイントなので、聞き比べてほしいですね。裏声ではなく、高めの地声なんです。普段i☆Risで歌う時の声の出し方とは違う感じなので、オチサビを聞く前に聞いてほしいと思います。自分としても、歌い方はi☆Risの時と変えています。

Q:Himika Akaneyaとi☆Risの茜屋日海夏との違いは?

茜屋:
i☆Risは「前に、前に」というイメージの楽曲が多いのですが、Himika Akaneyaで歌っている時は、(後頭部の後ろのあたりで)身体の使い方のイメージも後ろに重心を置くというか。無理をしない感じです。頑張らない。”チル”みたいな感じです。

Q:Himika Akaneyaさんの人生の中で、一番「Side U」だった人は誰ですか?

茜屋:
芸能活動を始めて12年。思い返してみると、母かなと思います。家族の中でもやっぱり一番思い出深いですね。顔を合わせたらすぐケンカになるのですが(笑)。芸能活動を始めたばかりの頃、受験勉強と芸能活動の両立でてんやわんやになっていて、どっちも中途半端になっているなと悩んだ時期があったんです。親は私が東京から秋田に帰ると、空港まで迎えに来てくれたりしていて。すごく有難いことだったのに、私は若くて周りが全然見えなくて、カッとしてすぐケンカをしていました。母に謝らせるというのは今思うとすごく切なくて……。最初は母も芸能活動に反対していたんですけど、結局一番近くで活動を見てくれていたのも母なんですよね。親に仕事の報告はあまりしないのですが、一番チェックしてくれて連絡をくれるのも母でした。

Q:Himika Akaneyaさんの人生の中で、学生時代に一番「Side U」だった人は誰ですか?

茜屋:
中学校の学年主任だった、英語の先生です。私、本当に中学で数学が出来なさすぎて、先生に呼び出されていたくらいで(笑)。受験校も芸能活動を許可してくれる学校に行こうと考えていたのですが、英語の学年主任の先生から「英語が出来るんだから、ここに行きなさい」と言われて、英語科の推薦の前期試験を受けて。受かったのがその高校でした。その言葉がなかったら、高校に行けなかったかもしれないです。自覚はないけど、個性的で主張が強くて、きっと面倒くさい生徒だったと思うんです(笑)けど、先生は一人ひとりをちゃんと見てくれていたんだなと思います。


Himika Akaneya
2nd Single「Side U (Prod. AmPm)
2024.11.20 Release!!

2024年10月放送開始
TVアニメ『MFゴースト』2nd Season エンディング・テーマ曲

i☆Ris HP:
http://iris.dive2ent.com/

YouTube:
https://www.youtube.com/channel/UCi6z7BymHrLuUSr9bLK3T-Q

インタビュー:「いくつになっても、ときめく心が“恋するピアニスト”」映画「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」小松荘一良監督インタビュー

<Q.残念ながら公開前にフジコ・ヘミングさんは亡くなられましたが、この映画の制作はどのように始まったのですが?>
小松監督:
元々フジコ(・ヘミング)さんとの出会いは、2013年にテレビのミニドキュメンタリー番組の取材でお会いし意気投合しました。その後も日本に来られる度に声をかけていただき、近況や色んなお話をお聞きしていました。

その時にはフジコさんはもうすでにパリにも家を持っていて、世界中を飛び回る人気のピアニストだったのですが、メディアに取り上げられる内容はというと、相変わらずフジコさんの昔の苦労話ばかりでした。貧乏や貧困や、(耳の)障害を乗り越えて、ようやく60代後半でデビューしたというストーリーがずっと繰り返されていたのです。

でも、実際に僕の目の前にいるフジコさんはというと、生き生きと世界中を飛び回って夢を叶えている。だからいつか機会があったら“今のフジコさんの姿”を描きたいなとずっと思っていて作ったのが、前作の映画「フジコ・ヘミングの時間」(2018年)でした。

きっかけはフジコさんの「南米ツアーをして、どこも会場も満杯だった。人が溢れていた。現地の新聞も一面にもなったのよ。」という旅話。何故、フジコさんが南米で人気があるのかを知りたくて、今のフジコさんの姿をファンの人にも見せたいなと思いました。それで企画したのが「フジコ・ヘミングの時間」で、おかげさまでロングランヒットとなってたくさんの人に観てもらうことが出来ました。

その後、ちょうど別の作品に取り掛かっていた時にフジコさんから、「(ドイツの)マンハイムのお城でコンサートをやるから撮ってみないか。」と言われて。前作では、東京のコンサートはライブ映像としてもしっかり撮ったのですが、海外のコンサートはドキュメンタリーとしてでしか撮っていなかったので、ぜひハイスペックなカメラでコンサートを撮ってみたいと思い、当初はシネマココンサートとしての企画でした。2019年の話です。

そこから撮影の準備を始めたのですが、マンハイムのお城から許可が出なかったので、それだったらフジコさんが好きなパリで自分たちがコンサートを主催してそれを撮ろうという話になりました。そして、そこに至るまでの日々もドキュメンタリーとしても撮りましょうと。

2020年2月にサンタモニカの自宅でクランクインをして、翌月の3月にパリのコンサートを撮ってクランクアップする計画にしていたのが、突然のコロナ禍で世界中が大変なことになってしまって、3週間前にコンサートをキャンセルして、撮影も延期になりました。

そこから、本作は大きく企画方針を変えて、コロナ禍前の生活から、コロナ禍を乗り越えて、パリのコンサートを開催するという物語の長編ドキュメンタリー映画としてかじを切りました。結果として撮影は4年間かかりました。

<Q.前作の「フジコ・ヘミングの時間」と今回の「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」でのフジコ・ヘミングさんの変化を教えて下さい>
小松監督:
前作「フジコ・ヘミングの時間」は2016~2018年にかけてのワールドツアーの様子や海外での生活の様子を一緒に旅して描きました。

今回はそこから6年間で変わっていった、アーティストして、人としてのフジコさんの進化を感じました。それは80代から90代に向けての身体の変化や、心の捉え方や精神性などの変化、以前とはこんなに違うんだという印象があります。

アーティストとして、人の前に立つ以上は格好良くありたいという所をどう守っていくかの強さを感じましたし、年齢での変化をどうとらえていくか、戦いみたいなものも本人の中であったと思います。

そしてもう一つは、これは元々フジコさんが持っていた考え方なのですが、フジコさんならではの「死生観」に興味がありました。家族や動物たちが亡くなるたびに凄く悲しんではいるけど、どこかクールな様子が不思議でした。特にこれまで多くの動物と暮らしてきて、保護猫などは命が短かったそうです。

どうして取り乱しもせずクールなのかと訊くと、フジコさんは「天国でまた会えるから。」とサラリと答える。こういった捉え方は、そばにいて僕は多くの影響を受けました。根底には、幼い頃の父との別れや戦争、差別や貧困など、フジコさんが苦労してきた人生から「死んでも天国でいろんな人に会えるから、死は悲しいものではないのよ。」という境地にたどりついたのではないかと思って、今作のテーマの一つしました。

だから、今年フジコさんは天に召されましたが、僕はこの映画を見て、ファンの方が号泣するような映画は作りたくはなかった。ちょっとホロリとするけど、前向きにとらえてほしい。フジコさんを近くに感じたい時は、この映画を見たり、音楽を聴いたり、彼女の生き方に思いを巡らせたりする。そんな事で、フジコさんが人生をかけて作り出した“フジコ・ヘミングという魂”から勇気をもらっていってほしいなと思っています。

<Q.どういった方に見て欲しいですか?>
小松監督:
本作のタイトルにある「恋する」ですが、恋愛だけにとどまらず、「恋する」と“は好きなことにときめく心を持つこと”という意味でつけました。どんな苦労していても、ときめいて前を向いて生きていくのがフジコさんのスタイルで、どの社会も時代も、苦しい事、悲しい事はあって、その中で、どうやって前向きに生きていくか、どうやって自分の心を守りながら生きていくか。

色んな自分の好きなものを集めて、自分だけの宝物を周囲に置くことによって、生きる活力を作っていった。そんな彼女の生き方に、さまざまな人生のヒントが隠されていると思っています。そしてその生き方が、あの演奏や音色につながっていると。

今回の「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」では、クラシックに興味の無い方でも耳馴染みのある名曲も多く、コンサートシーンも17台の4Kカメラでダイナミックに撮影し、フジコさんの指先のまで描写しています。国内はもとより、200年の歴史を誇るパリのコンセルヴァトワール劇場でのコンサートも見どころのひとつなので、ぜひ御覧ください。


<映画情報>
『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』
出演・音楽:フジコ・ヘミング
監督・構成・編集:小松莊一良
プロデューサー:大村英治 佐藤現
企画:スピントーキョー
制作プロダクション:WOWOWエンタテインメント
制作:東映ビデオ、WOWOWエンタテインメント、スピントーキョー、WOWOW
配給:東映ビデオ

10月18日(金)より新宿ピカデリーほか全国ロードショー


<サントラ情報>
『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』 オリジナル・サウンドトラック~COLORS2
ユニバーサル・ミュージックにて発売中
https://www.universal-music.co.jp/ingrid-fuzjko-hemming/products/uccs-1395/


公式サイト:
https://fuzjko-film.com/

公式X:
http://x.com/Fuzjko_film

公式Instagram:
https://www.instagram.com/fuzjko_film/

©2024「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」フィルムパートナーズ

インタビュー:「ダンサーの先に見えるものは?」第12回高等学校ダンス部選手権(avex presents DANCE CLUB CHIMPIONSHIP)上位受賞校インタビュー

授賞式が終わり、観客の方が帰ったところで、上位校(3校)にインタビューをさせて頂きました。

一つ目は、武南高等学校(和勢:わっしょい)チームのインタビューですが、まだ終わってから時間が経ってなかったということもあり、メンバーの高揚感が非常に強く、個性的なインタビューとしては、「夢」については、「世界」と答えるなど、かなり大きく出ていましたが、是非とも実現して欲しいと思いました。

優勝した武南高等学校チームは、フリースタイルで踊っているように見せて、ちゃんと拍は取っていて、各々のアイコンタクトとかだと思いますが、想像していたよりも出来上がっていたと思います。しかし、気になる点としては、予選は男性審査員がとても良かったと褒めるくらいだったと思いますが、決勝については、KENZOさんはパリ2024オリンピックに見に行くほどのブレイキンに熱中していることや、ISSEIさんは顔なじみということで、普通の賞レースの場合は、初対面が基本のような気もします。ダントツだったとは言え、ちょっと評価が甘かったのではないかと思います。

続いては第二位、樟蔭高等学校ですが、短い時間でしたが、表現力ではなく、敢えて技術について、話を聞きました。記者の目では、決勝ステージは点数差がかなり開いていましたが、女子生徒のレベルで出来る最高のパフォーマンスであり、高校で引退をする人もいれば、大学や専門学校とかで、極めたいという人もいると思います。

そこで、今回のダンスの振付について聞いたのですが、基本的には自分たちで考えて決めたという事で、ブレイキンが無ければ優勝だっただけに、生徒のクリエイティブ能力の高さを感じました。引率の先生からも、今日もアドリブをしていたと話しており、踊るたびに同じパフォーマンスは無いという事で、常に改善という形で、今後も進化していくものだと思います。

生徒達のクリエイティブ能力の高さに、振付師に興味がある人は居ませんか?と聞いたところ、手を挙げる人は居なかったのですが、将来的にプロも目指せる人は居ると感じました。

続いては第三位、帝塚山学院高等学校は決勝でも2チームが出ており、受賞したのは(鼓舞:マウイ)ということでしたが、こちらも完成度が非常に高く、樟蔭高等学校と同じように、振付はどうされましたか?という質問には、多くの人にかかわって貰っているという事で、プロが関わっているかは分かりませんが、話しぶりだと生徒、先生、OGの人たちの協力によって作られたのではないかと思います。

今回はちょっと毛色を変えて、プロの振付師の人がダンスの振りを付けると格段にレベルが上がるのですが、例えば、今回の決勝で審査員をしていたAkanenさんや、IBUKIさん、Ruuさんに振付を付けて貰えるとしたらどうですか?の質問には、恐れ多くて想像すら出来ないという感じで、困惑をされたのと、ダンスのジャンルが違うから、大変なのではと思われていました。

最後の質問で、先ほどのダンスの質問を踏まえ、今回の大会では様々なダンスが披露され、優勝はブレイキンでしたが、仮に優勝確定の場合だったら、ブレイキンをやりますか?という質問には、創作ダンスが好きでチアから変えたので、私は創作ダンスを一番にやっていきたいです。と熱い思いを披露して頂けました。

今回、三校の部長やキャプテンやキーマンの人に質問をさせて頂きましたが、想像しているよりも、ダンスの種類を変えるのは大変であり、相当の覚悟が必要なのと、37チームのパフォーマンスを全て見ましたが、各出場校は技術力はあると思うのですが、今回の大会は、技術ではなく、抽象的かもしれない表現力で苦戦している所が多かったと思います。独創性については、他の学校がやってなければの加点という感じなので、点数の半分以上を占めた、表現力というものへのアプローチが大変だったと思います。

今回の大会はあくまで取材だけだったので、各学校に行ってお話を聞くことは出来ませんでしたが、駆け出しではなく、何かしらのアーティストで実績を積んだ振付師の方に振付をして貰うと、今回は80点台が優勝でしたが、90点台が出ても可笑しくはないと思いました。

引率の先生と話した感じでは、プロにお願いすると、費用がちょっと高いと思われるかもしれませんが、今の時代のアイドルの振付はトップクラスになると、普通にプロの振付師の方が考えた物で演じています。DJ KOOさんのステージの時に、楽しく踊っていたYOASOBIのアイドルもあれはプロの振付師の人がついていると思います。

参加校の生徒の人たちは、ジャンルが違うから、踊れないと謙遜されましたが、普通に楽しく踊っていたので、出来なくはないと思います。振付師のプロ化はいきなりは難しいとしても、自分の学校のOGが実はダンサー兼振付師をやっているというのは少なくないと思います。

演者であるダンサーの人は、振付師をどういう意味合いで考えているかは知りませんが、ダンサーの上位職に振付師がいると思っていいと思います。自分が踊れない表現できない振付は出来ないし、ジャンルにもよりますが、ダンスがどうなっているのかを脳内で考えてアウトプットするのは、教えてもらう感じのダンサーに比べると難しいと思います。

ダンスというとアイドルを想像しがちですが、ミュージシャンも緩く踊っているのは、あれも一部は振付師が入って行っているはずなので、自分がダンスで輝くのも一つですが、自分の考えた内容でみんなが輝くパフォーパンスをする人が今回の大会から育っていって欲しいなと思います。

極端な話、ダンサーはアーティストのバックダンサーが多いと思いますが、正直競合が多いと思います。振付師も少ないかと言われれば、それなりにはいると思いますが、プロのダンスで生活する場合は、振付師もお勧めだと思います。