2024年10月14日、神奈川・馬車道にある東京藝術大学馬車道校舎において、「東京藝術大学映像研究科映画専攻 設立20年記念イベント濱口竜介トーク」が行われました。
今回のトークショーでは、濱口竜介監督と、聞き手として筒井武文教授が登壇され、濱口監督もホームという事もあり、リラックスした感じでトークショーに挑まれていました。
筒井教授が「文化人になったね。」というと、濱口監督もそういうのは気にしないらしく、サラリとかわしてました。筒井教授は設立当初「(一期で)一人、撮り残れば良いよね。」とは言いつつ、一期生から一桁後半出ている実績を話していました。
濱口監督は、一期生でも受けたが落ち、二期生で受かったそうですが、筒井教授が濱口監督と会ったのは、一期生の時の監督面談だよね?と話すと、夏の映画美学校で会ってましたと言い、筒井教授が驚く一幕もありました。
濱口監督も、最初は映像制作会社に入っていたそうですが、そこは辞めて、一期目の時も受けて、最終面接まで行ったそうなので、何かが足りなかったと自身では思われ、二期目までは受けようと思われたそうです。
受験裏話として、最終面接後、加藤直輝監督(一期生)と比較されて落ちて、二期受験前に友達の友達の加藤監督の「Tokyo Murder Case」を見て、「これは落ちる。」と思われたそうです。
濱口監督も、受験時に出された課題については、1週間くらいで作られたそうなので、記憶は薄いとは言いつつも、評価や審査の基準は印象的だったそうです。撮影もカット割りはバラバラだったそうですが、これでどうやって評価されるのかと思ったのと、一年目はそうだったのですが、二年目はなるべく編集しなくても良いように、作品を制作していたそうです。
濱口監督も受験時に提出した作品については、結構言葉にならない感慨があったようです。
筒井教授も当時の濱口監督の作品をかなり鮮明に話をされ、濱口監督もあまり演者に指示を出さずにやって貰っていたと話していました。
ここからは、濱口監督の作品を振り返りました。
「遊撃」では、筒井教授の印象は編集部門が泣いていた(仕事量が凄かった)ことを挙げ、6人のシーンを編集するのに、編集をされた山本良子(卒業生)さんが泣かれていたそうです。
修了制作の話になり、自分の好きなテーマで200万円の予算も出て、スタッフもいて、機材もある事が初めてで、修了制作ではどうやって人間関係を悪くしないかと考えながら、作られたそうです。(一期生の人間関係が悪くなっていたため。)
筒井教授は、濱口監督は幸運で、一期生ではなく、二期生だったことを挙げ、一期生の時はスタジオが無かったことや、一期生の時に三日間スタジオに詰めた人がいて、技術スタッフがボイコットされたエピソードを披露していました。
「記憶の香り」は今まで8mmでは撮っていたけど、フィルムで撮った感想は、濱口監督は「大切に楽しく撮った。」ものの、脚本が分からず「分からないながら撮った。」と話していました。フィルムの時は資源が有限なので、カット割りをかなり考えられてやっていたことや、脚本も小林美香(卒業生)さんのもので、書かれた通りに撮ろうと心掛けたそうです。
「SOLARIS」は脚本については、黒澤教授が原作小説は好きだが、今までの映画は好きではないので、作ってくれと言われて、作ったそうですが、これは無理難題が前提で、一学年30人が脚本可能性(これだったらできますと言う提案)を提出し、濱口監督も物語が作れればいいだろうという事で作ったら、自分のが通って良かったと話していました。
セットも凄くて、自動ドアも手動だった話や、上映できなかった理由としては、版権の関係だったと話していました。(編集部注:おそらく著作権法の教育の範囲外での使用の可能性のため)
脚本の人がCGも出来るという事で、担当されたそうですが、どんなにCGが発達しても、この作品のこのCGは残したいと話していました。
ここからは、役者陣の演技論の話になり、濱口監督の「ジョン・ルノワールのイタリア的本読み」の話になり、基本的にどの作品でもやっているのと、やっていると役者の表情が変わると話していました。
濱口監督が徹底した演技指導をしていると思いきや、濱口監督は特に演技指導はせず、役者の能力に任せていると言います。筒井教授はここはOKだけど、スーパーOKをだそうねという駄目だしの話をされましたが、濱口監督はこのシーンは良かったので、他のシーンでも更に良いシーンを撮って、また同じシーンを撮ると言う、工夫をされているそうです。
また、何テイクか撮っていくと、役者もそのシーンの演技が上手になり、本当はOKの所をもうちょっと撮ることはあると話していました。
それなので、役者の人に言える事としては、練習を何度も行う事こそが、芝居が上達する手段であると言っていたと思います。
それを聞いて、筒井教授は「瀬田(なつき監督:二期卒業生)は天才。」「濱口さんは天才ではないが、努力の天才。人間は面白くないけど、映画は面白いから。」と言い、濱口監督も経歴は立派過ぎるくらいですが、努力をして、勝ち得たものであり、天性の才能でなった訳ではないと筒井教授は言っていたのだと思います。
最近の藝大についての話では、筒井教授は「若い人が撮るのが映画で、素晴らしいのが出来ている。」と逸材はいるものの名前は伏せていました。筒井教授は一期生や二期生の時が一番恵まれていた時期で、今は国の政策や大学からのお達しで予算が減り、アイデアはあっても、それを実現できる手段が減っていると憂いていました。
筒井教授は「濱口監督は勉強好き。」と話し、色んなことを学んできたからこそ、表現の幅が広がっているのではないかと話していました。
また、筒井教授は意味深に「映画は素晴らしい映像ではなく、的確な映像を取ればいい。」と、美しい映像を撮るのではなく、その映像を見て、何を感じられるかという話もされていました。
加えて、「藝大は(当初は)滅茶苦茶やっていたが、本数を撮ってこいと言えなくなった。」と、出来る事が減っている事をここでも憂いていました。
そして、「実作が絶対中心。予算も削減される中で、自由を保てるか。ここが良い所はなんでも撮れるところ。学生は在学中は自由が素晴らしいというのが分からない。」と映像監督を生み出すインキュベーターの価値が理解されていないのが口惜しい感じでした。
濱口監督は「藝大を出てから」では「藝大を出た段階ではもしかしてこのまま商業映画に出れるかと思ったら、甘くはなく、結局自主映画を撮ったり、韓国との合作や、東日本大震災の被害の記録など、藝大から仕事を斡旋されていたという認識が強い。」と大学と接点があったから、食いつなぐことが出来たそうです。監督としては、その時の事は表には出すまいという感じでしたが、出来る事はなんでもやる姿勢だったと思います。そして、すこしずつ撮影については、プロデューサーから生活費を貰っていたそうです。
「ハッピーアワー」は世界中で上映され、一息つけるようになり、文化庁の派遣でアメリカに一年行き、独立系の映画では、スタッフに平等に配分する収益の分配など、映画業界もこうだといいなという話をされていました。自分たちが現場でやったことを価値を持った作品がスタッフにお金が入る。簡単なようで難しいのが、今の世の中だと思います。こういうのは全体に広がっていくと良いなと思います。
映画の製作の話になった所で、再び「イタリア的本読み」の話になり、濱口監督は「役に立つと思う。」と話していました。本読みをしていると物語が収斂していく。新たなばらつき、演技の方向性にもなると思うのですが、現場では何も言わないのですが、これは違うと言う演技は無いと受けている。と話し、場面は設定するが、殆ど干渉されない様子でした。
役者さんに任せる。物を言わない方が輝いていると思う。現場が分からないと言う意味では(映画を作っているけど)ドキュメンタリーだと思う。たまたまよく出来た(シーン)を繋いでいる。クラシカルなカメラを置いているが、どのテイクで出来るか、出たとかもある。と話していました。
アクションが繋がらないことも多いし、演技のテンションも違うけど、発見としては、1人の人が演技をしていると、編集では気にならない。もう一つ、良く録れている声をハメ替えている事はある。なだらかに見えるようになる。と、映画ならではの編集技術で、色々作り上げている話をされました。
全部回すのは編集が決まっていないけど、長く回っていれば回っている方が役者が発展していくことが多いので、長く回すのが多いです。と独自の映像手法についても話をされていました。
このことをやることによって、何が良いかというと、「役者が成長する。」という事で、作品内での役者の成長は目を見張るものがあるようです。
筒井教授から濱口監督への質問として、「現場が悪いけど、良い映画が出来る。」のと「良い現場だけど、悪い映画が出来る。」では、濱口監督は前者っぽいニュアンスでした。
脚本という設計図から映画を製作することについては、濱口監督は脚本から飛躍する事は無くて、脚本で、役者さんが時になんなんだというのが時々ある。その瞬間にかけている。それが撮れれば、そこまで跳ねてない場面も編集で生き返る。と両方が駄目だと駄目だが、片一方がずば抜けて良い場合は、それはそれでありという感じの話でした。
編集については、筒井教授の門下の人しかやったことが無いと話し、自分の人格も分かったうえで付き合ってくれているスタッフに感謝。と、編集スタッフも最初は遅いけど大丈夫か?と思われた時もあるそうですが、納期にはちゃんと仕上げてくれるので、信頼していると話していました。
資金の豊富な作品も作りたい。頑張ります。と予算に縛られない形での作品にも興味を持たれていました。
藝大にはスタジオが少ないと言う話になり、寄付で藝大に濱口スタジオ、筒井教授も筒井スタジオ、筒井教授は来年まで(に定年という事で是非と話していました)。
筒井教授は、「藝大に入った当時、商業映画 映画専攻はどういう人材を輩出したい?元々、出来たところでは、商業映画が出来る人、ここの敷地しか取れない人を広げたい。誰もが同じ映画を作るようにしたくはないと思っていた。本当に予算削減が来るので、学生の予算が減る。」と予算の削減による文化芸術分野の衰退への危機感を持たれている様子でした。
筒井教授は「いつまでもそれが続けられるとは限らない、予算は減ったけど、もっと多様な人材が出来る方法はあるのではないか。」と、予算が減ったけど、減ったなりに方法論があるのではないかと話していました。
今まで募集していた学生は映画監督という感じでしたが、「ドキュメンタリーが撮りたい人が来ても良いのではないか。融通の利く教育が出来るのでは。」と今までとは方向性の違う可能性も見せていました。
ここで、筒井教授としては、濱口監督に教授を公開打診!濱口監督は「10年後くらいかな?」と濁らせていましたが、生涯映画監督の感じを見せていたので、客員教授とかそっちだったら可能性は有るかもしれないと思わせられました。
最後に質疑応答が行われ、「日本の映画の興行収入が約2200憶円、日本のTV、BS、CATVは約3兆円、NETFLIXは約1.7兆円の市場規模がありますが、やって見たい所はありますか?」には、濱口監督も「面白い企画なら受けます。」と、大学卒業時に商業作品も担当されていたのと、大資本でも作品を作りたいと話していたので、今話題のNETFLIXなどのオンデマンド系での独占作品が見られる可能性もあるかもしれません。
最後にどんな映画を撮ってみたいですか?という話では、濱口監督が「アクション映画を撮ってみたい。」とこれには筒井教授も同意見で、意外と難しいと言う話をされ、トークショーが終了しました。
「東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻 設立20年記念上映会」
日時:
2024年10月13日~27日(15日間)
会場:
東京藝術大学大学院映像研究科・馬車道校舎大視聴覚室(103席)
〒231-0005 神奈川県横浜市中区本町4-44
入場料:
無料
主催:
東京藝術大学大学院映像研究科、馬車道会
上映会HP:
https://anniversary.geidai-film.jp
※タイムテーブルは上映会ホームページをご覧ください。
※上映スケジュール・出演等は都合により変更となる場合がありますので、ご了承ください。
(c)東京藝術大学大学院映像研究科